【物語】カリナンの大地の御伽話-南部地域版
更新日:8月5日
カリナンの口伝民話集
I. Once upon a time.
むかしむかし、あるところに、カリナンと呼ばれる大地がありました。
そこは四方を海に囲まれ、透明な果てのない空に輝く一筋の光に見守られ、広大な野原や深い森、光輝く泉に荘厳な山、そこかしこに息づく命に溢れた、楽園と呼ばれるほどに美しい場所でした。
その楽園にある全ての命は、朝も夜もずっと彼らを照らす、透明な空に輝く一筋の光に従って、星と大地と海にその身を委ねて生きていました。
あるとき、その楽園の中から一匹の二本の足で立ち上がる鹿が現れました。
この鹿はこの大地で初めて、知恵をもつ存在として生まれ落ちたのです。
この鹿は後に、始まりの鹿と呼ばれるようになりました。
始まりの鹿が大地に現れたそのときから、まるで、彼の知恵が乗り移ったかのように、無垢なる獣たちが次々と知恵を得るようになりました。
知恵を得た獣たちは、次第に同じような姿を持つもので集まり、村を作るようになりました。生きることが、暮らしへと変わっていったのです。
暮らしの中で、知恵ある者たちは沢山の疑問を持つようになりました。
「ここはどこ?」
「わたしはだれ?」
「あれはなに?」
「きみはだれ?」
知恵ある者たちは互いに沢山の問いを重ね合いました。
しかし、知恵ある者のうちの誰ひとりとして、それらに答えられる存在はいませんでした。
生きとし生けるものがずっと頼りにしてきた空に輝く一筋の光に尋ねても、その声は虚しく溶けていくばかりで、答えを得ることはついぞ出来ませんでした。
そんなある日、梟の姿をした知恵ある者が空を恨むように言いました。
「━━どうして?」
その疑問が、楽園とされた大地の全てを変えてしまいました。
いままで、楽園の中であたりまえのように流れていた命の流れそのもの
━━食い、食われ
━━生まれ、死に
それらが嘆くべき痛みの奔流に姿を変えてしまったのです。
知恵ある者たちは二十の氏族に別れ、それぞれに命の痛みを取り除こうとしました。
(狼の氏族は、愛する者のみを伴い、北の雪原へと隠れ潜んだ。
小鳥の氏族は、他の氏族の争いを空から眺め、知恵の限界を嘲笑った。
兎の氏族は、子を産み増やし続け、喪失を数で覆い隠そうとした。
蜘蛛の氏族は、慈しみという倫理の檻を築き、他者を縛り上げた。
虎の氏族は、影より粛々と敵を屠り、それを誉れと定めた。
蛙の氏族は、自らの無力に沈み、泉の中で世界が変転する様を漫然と眺めた。
蜂の氏族は、この世の有様に関心がなく、まるで時計の針のように規則的な暮らしを貫いた。
鯉の氏族は、他者の存在を忘れ、あらゆる水面を喰らい荒らした。
犬の氏族は、他者の死を悼み吠え続けたが、何ひとつ変えることは叶わなかった。
百足の氏族は、墓を暴き骸を啜り、知性こそが最大の罪であると説いた。
獅子の氏族は、圧倒的な膂力によって、世界に秩序をもたらそうとした。
蟹の氏族は、それが独裁だと知りながら、堅い殻に全ての命を匿おうと試みた。
大鳥の氏族は、生命の因果と世界の真理を、深く探り続けた。
蛸の氏族は、革新的な技術を生み出し続け、犠牲を当然だと宣った。
蛇の氏族は、傷ついた者を癒やし続けたが、荒んだ心までは癒せなかった。
狐の氏族は、この世の有様を疎み、延々と酩酊を繰り返した。
鹿の氏族は、世界の終わりを悟りつつ、心中に刹那の楽園を見出した。
猪の氏族は、森も獣も等しく喰い荒らし、その是非を思案することすらしなかった。
熊の氏族は、一切の知性を拒絶し、本能のままに生き続けた。
鯨の氏族は、大海から全てを眺め、現世を知り尽くしたかのように諦観した。)
二十の氏族はいつしか、その考えの違いから血を流し争うようになりました。
食う為でなく斃すために。
争いは日ごとに大きくなり、全ての氏族が、その民が、疲弊していきました。
かつて、食い食われ、生まれ死ぬことを嘆いた彼らは、その嘆きに食い荒らされてしまったのです。
かつて楽園とされた大地が血の霧で満ちるかというそのとき、狼の氏族のひとりが言いました。
「━━もう、いやだ。」
「こんなことになるなら、ぼくたちは、なにもしらないけもののままでいるべきだったんだ。」
そのときです。
雷のような光が、全ての命の目を伏せさせました。
━━恐る恐る目を開けてみれば、空はあまりにも深い影に包まれ、生きとし生ける者がずっと信じてきた透明な空に輝く一筋の光は、怒りを湛えて真っ赤に染まっていたのです。
怒りに震えた一筋の光は、一粒の透明な涙を、かつての楽園の空のように透明な涙を、大地へ向けて零しました。
そのあまりにも大きな涙の粒が大地に触れようとするその様を見て、全ての命が、知恵ある者が悟りました。
━━我々は滅ぶのだ。我々の傲慢が呼び起こした、かつて、我々を愛したあの光の怒りによって。
全ての命がその存続を諦めたとき、大地に溢れた戦禍の骸の山から、腐乱した、もはや骨だけともいえる姿の始まりの鹿が、ぐずりと起き上がりました。
始まりの鹿は、残された数少ない知恵あるものに、ゆっくりと語りかけました。
「こうなれば、もう一度、全ての始まりから歩み直すほかありません。それこそが、我々に残された贖罪の道なのです。」
「私がその道の扉を開きましょう。あなたたちは私が扉を開くまでの間、あの哀れな終わりの狼に素敵な夢を、またこの大地を歩みたくなるような夢を、見せてあげてくださいね。」
始まりの鹿はそう言い残すと、赤い布を巻いた杖を、大地に突き立てました。
すると、 彼の元に夥しい数の無垢の命が集り、彼はみるみるうちに、巨大な光の鹿となり、大地を蹴り上げ、怒りの落涙と衝突しました。

鹿の肉体は粉々に砕け散り、光の雨となり、怒りの落涙は一つの大きな欠片と小さな無数の欠片となって、大地に降り注ぎました。
落涙の大きな欠片は、大地を二つに割き、楽園を彼岸と此岸とに分けました。
彼岸と此岸の間からは、大地の赤い血が吹き上がり、地表の全てが焼け爛れた肌のようになりました。それを癒すかのように、彼岸と此岸の間へと海が覆い被さりました。
此岸の大地には、たった八匹の知恵ある者と、ほんの一握りの無垢の命がのこされました。
八匹の知恵ある者は必死に生きようとしましたが、此岸の大地には、もうかつてのような居場所は残っていませんでした。
空は重く濁り、一筋の光すら見えず、水は毒を抱き、実りは黒く爛れ腐り、煤の嵐がほんの一握りの無垢の命すらも攫っていきます。煤の嵐が吹き荒れるときは、いつも低い唸り声が大地に響き渡り、それはまるで、煤の嵐が意思を持ち、残された全ての命を彼岸へと招いているようだったといいます。
八匹の知恵ある者は、このまま全ての命が死に絶えるのだろうと、諦めの淵に立っていました。そんなときです。八匹の知恵ある者のうちの梟の姿をしたものが、落涙の小さな欠片の中に、終わりの狼が眠っていることに気がつきました。
八匹の知恵ある者は、始まりの鹿との約束を思い出しました。
「始まりの鹿との約束を果たすことが、この空と大地と海を裏切ってしまった我々の最期の使命であり、贖罪だ。」
「始まりの鹿がいつか扉を開けるその日まで、この終わりの狼が素敵な夢を見ながら、眠り続けられるように。安息の地を残そう。」
八匹の知恵ある者は狼の故郷である北の広い雪原に、小屋を建てました。
その小屋のなかに、狼の眠る落涙の小さな欠片を優しく横たえました。
そして、彼が素敵な夢をみられるように、限られた宝物を持ち寄り、小屋を彩りました。
兎は柔らかな毛皮を。
虎は道を切り開く小刀を。
蜂は楽園の記憶を描き出した絵巻を。
犬は時を超えて願いを届ける楽譜を。
獅子は崩れぬ堅牢な壁を。
梟は氏族の知り得た全ての知識を。
狐は形なき叡智を綴り合わせた書物を。
熊は自らの血肉と赤い木の実を。
そして最後に、皆の願いを一文ずつ綴った手紙を。
仕事を終えた八匹の知恵ある者は、ひとり、またひとりと、深く冷たい眠りにつきました。
あれから、どれだけの時が過ぎたのでしょうか。
空は再び透き通り、海は一筋の光を映して輝き、大地はその彼岸も此岸も、かつて楽園とよばれた頃の姿を取り戻していました。
ただひとつ、以前の楽園と違うことは、火を纏うトカゲや、霧のような獣などの精霊と呼ばれる存在が、空や大地や海に息づいていることでした。
そして、二度目の楽園の大地にも、約束の時が訪れました。
再び、楽園の大地の上で、一匹の鹿が二本の足で立ち上がったのです。
生まれ落ちた二度目の始まりの鹿に、精霊たちは言いました。
「おはよう、始まりの子。」
「わたしたちは、かつての影。」
「あなたたちの姿を、見定める者。」
始まりの鹿は答えました。
「ええ、ええ。存じ上げておりますとも。」
「愚かなる我々の贖罪の行をお認めいただき、ありがとうございます。」
「どうか、末永くお見守りくださいますように。良き人々よ。」
精霊たちは、くすくすと小さく笑いました。
「ああ、ああ。良い子。良い子だね。」
「始まりの子よ。始まりの魔法よ。どうか次は、約束を違えないようにね。」
「見守るよ。見守るよ。精霊たちが。小さな精霊の子供達が。」
「手を貸すよ。手を貸すよ。楽しいときにね。気持ちがいいときにね。」
「ああ、ああ。でもそのときは、素敵な贈り物をちょうだいね。」
「始まりの子よ。始まりの魔法よ。僕たちは、約束が果たされるまで何度でも、君たちの前に現れるからね。」
そう言葉を残して、精霊は空に、大地に、海に溶けていきました。
そのあとから、カリナンの空や海や大地には、小さな精霊の子供達が現れるようになりました。
それに応えるように、再び無垢の獣たちが次々に知恵を得るようになりました。
知恵を得た獣たちは、次第に同じような姿を持つもので集まり、村を作るようになりました。生きることが、再び暮らしへと変わって行ったのです。
小さな精霊たちは、暮らしを覚えた知恵ある者を揶揄い、諫め、助け、拐かすようになりました。知恵ある者は彼らのその有様から、彼らを妖精と呼ぶようになりました。
妖精たちは、カリナンの大地の知恵ある者のうち3人だけを選び、彼らをひときわ愛すようでもありました。知恵ある者は妖精に愛される彼らを魔法使いと呼ぶようになりました。
そんなある日、カリナンの昼の空にひときわ明るく輝く星が、空の一筋の光に隠されてしまいました。空や海や大地が仄暗い影に包まれる中で、北の雪原の大地だけが明るく輝いていました。
始まりの鹿はその光を見て、終わりの狼が目覚めることを悟りました。
妖精たちがざわめきました。
「ああ、ああ。あの子だ。あの子だね。」
「そう、そう。終わりの子だ。終わりの魔法だ。」
「ねえ、ねえ。いい夢はみられたのかな。」
「いいや、いいや。彼はこれから夢の続きを歩くんだもの。」
始まりの鹿は
「どうか、次は約束を違えぬように。」
「定められた終わりへと続くその道を、歩むことが出来ますように。」
そんな祈りを小さく零し、カリナンの大地を歩き出したのでした。
おわり
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あとがき
これは、妖精や魔法が溢れる我らがカリナンの大地につたわる御伽話です。
カリナンの大地の各地につたわる伝承が纏め上げられ、いつしかこのような形で語られるようになったのだといいます。
この民話の中で語られている始まりの鹿は、この民話の最後に「定められた終わりへと続くその道を、歩むことが出来ますように。」と祈りを残したとされています。
まるで、終わりそのものは避けられないと示唆しているかのようです。
そう見ると、この民話の中でかつて楽園であったカリナンの大地を荒らしてしまった二十の氏族の争いの原因は、痛みや苦しみ、ひいては命に定められた死という終わりそのものからの逃避とも読み取ることができるように思います。
この民話は、この島に溢れた妖精や魔法の来歴を考察したある種の歴史的な口伝であり、また、命や文明、物事の終わりをどのように受け入れるか、終わりとは断絶なのか転生*なのかといった哲学的な概念を、この民話に触れた各々が考えることを促すための寓話としての側面を強く持っているのかもしれません。
いつか日か、この民話の中で語られている始まりの鹿の言うように、定められた終わりを告げる涙-恐らくは隕石の暗喩-が再びカリナンの大地に降り注ぐのだとして、その涙はまたも怒りをいだいているのでしょうか。それとも、喜びに溢れているのでしょうか。そして、我々は涙が降り注いだ大地の上で生き残ることができるのでしょうか。
いいや、その如何は、今を生きる我々の両肩にかかっているのかもしれませんね。
編纂者 ジャクリーン・レイバン
*転生という表現について。
この民話は「むかしむかし、あるところに、カリナンと呼ばれる大地がありました。」という一文から始まります。これは、カリナンの大地が実際には存在していないか、もしくは、かつて存在していたが、現存はしていないことを示唆するような語り口です。
しかし、この民話の中で語られる大地は、地形等の変化があるものの全て同じカリナンの大地であるような語られ方をしており、その上で生きる生き物やその種族、文明などが移り変わっても、大地の本質そのものは変化していないかのようです。さらに、現代において我々が暮らしている大地も、カリナンという同じ名で呼ばれています。
ここには、古代から近代にかけての、我々の先祖にあたる氏族たちの生死観が現れているのかもしれません。
一度、楽園ではなくなり大地が二つに別れてしまった時点で大地は死を迎えたと考え、時を経て復活した大地や始まりの鹿は、同名の存在ではあるが、同一の存在ではないと考えていたのではないでしょうか。こういった考え方は特にカリナンの大地の西部から南部の地域、特に黒煙の街と楽土マグメル周辺の民話によく見られます。
つまり、大地や始まりの鹿は転生したのであり、同一の存在が復活したのではないのだと語っているのではないかと編者である私は考えました。そうして、あとがきの中での表現として、転生と言う言葉を用いるに至ったのです。

